救急とホームレス

今週は救急実習。救急の現場には、いろんな現象が起きている。

今日は、救急車実習だった。東大や後楽園の周りが、ぼくがお邪魔した消防署の管轄だった。ラクーアのそばを通ったりするから、遊びてぇ、と考えている自分がいた(誰かそのうちいっしょに行って〜)。救急隊員と話しをしたのは初めてだったのだけど、軍隊的、でも親切であったかい、そんな雰囲気、なんとなく好きになった。

しかし、救急車は酔いますね…。プライバシーの保護とかあるからだろうけれど、カーテンを閉めていて外はあんまり見えない。で、横揺れが激しい…。車を追い越すことゆるされるといっても、混んでいる都会、なかなか追い越せず、追い越せても無理に間をぬわざるを得なくて、気持ち悪い。
そんな救急車が、本郷では平均すると24時間でだいたい10回の出動があるらしい。

けれど、今日はそんなに出動は体験できなかった、
というのは、結核疑いのホームレスの方を運んだからだった。

「胸が痛い」「俺は結核なんだ」と文京区の福祉窓口に行って騒いでいたので救急車が呼ばれたのだ。本当に結核だったら、と、救急隊員が気を利かせてくれて(結核は空気感染するのだ)、ぼくは消防署に戻された。そのあと、ずーっと、待たされた…

結核を受け入れてくれる病院は、ほとんどない。清瀬のほうとかに送られることになってしまう。こういう患者は、救急車泣かせになる。また、結核患者を運ぶと、車内を消毒しなければならない。そしてその消毒で1〜2時間、救急車が使えなくなるそうなのだ…

今回の件は、おそらく、詐病だろう。病院に連れて行って結核だと調べる検査をしてもできなかったらしい。台風が近づいていて、帰る家のない男性が、何とか入院してしのぎたいと騒いだようだ。

二点、改めて気になった。

救急隊員は、危険の中にいるんだなと。
そして、医療従事者は危険の中にいるんだなと。
知識や予防というさまざまな準備はしているけれど、病気という危険の中に飛び込まなきゃいけない職業だ。
こわい。そう思った。

もうひとつ。
ホームレスの問題は、難しい。ただいえるのは、救急車という社会資源が、このような形で浪費されるのはとてもばかばかしいということ。彼らを捨てろというのではない。何か、彼らを拾う変わる何かがあればいいと思う…
台風が近づいているため非常事態宣言がだされ、消防署内はとてもあわただしい。町にもさまざまな危険がある。そんな中、貴重な救急車が活動を停止するのは、町にとってとても危険。
これは、きちんとした受け皿や流れが作れてないから起きる。
どうせ、どうにかしなければいけない問題なのだ。法治国家である日本は、彼らを見捨てることはできない。ならば、救急という貴重な資源に彼らが向かう前に、きちんと彼らを救う何かを用意できないのだろうか。
お金を削るだけでは、結局どこかに負荷がかかる。適切にお金を使ってしまえば、余計な負荷を取り除けるはず。


同じような事例が、隣の消防署でもあった。
おそらく、ほかにもたくさん起きているのだろう。
都会の貴重な救急能力が、ムダに消費されている…